2021年2月8日の素話(天狗のお話)
お話が好きな子どもとそうでない子ども
子どもたちの前でお話をしていると、「この子はお話を聞くのが好きなんだろうな」という子どもや、「この子は周りの子どもがお話を聞きに行くといったから、一緒についてきたんだろうな」という子どもや、「この子はなんとなくお話を聞きに来たけど、何が面白いのか分かっていないのだろうな」という子どもなど、様々な子どもたちの様子が見て取れます。
もちろん、できるだけ子どもたちが楽しめるようにと思っていますが、始めは「別に聞きたくてきたわけじゃないし~」という表情をしていた子どもが、お話の後半になると前のめりになって聞いてくれていたり、その逆もあったりして、毎回話をする方も楽しく取り組んでいます。
今回は最近あまり登場することがなかった天狗のお話です。
天狗のお話
昔々のお話。
小さな子どもが外で一人で遊んでいたんだ。夕方暗くなってきてもいっこうに家に帰らずに一人でずーっと遊んでいたら、突然、ふっといなくなってしまったんだ。
お父さんとお母さんはなかなか子どもが全然家に帰ってこないから、心配になってあちこちを探したんだけど、結局その子どもはどこにも見つからなかったんだ。
近所の人達も一緒になって探してくれたんだけど、あちらの山もこちらの川もどこに言ってもその子の姿は見つからなかったんだ。
次の日になっても、その次の日になっても、何日経ってもその子が見つからないから、きっとどこかの川で溺れて死んでしまったんだろうということで、仕方なく、いなくなって一月が立つ頃に、その子のお葬式をすることになったんだ。
ところが、お葬式をした日からしばらくして、近所のおじさんが「裏山の木の枝をぴょーんぴょーんと飛んで歩いていく子どもを見た」と教えてくれたんだ。その子どもの姿は、あの時いなくなった子どもとそっくりだったと言うんだ。
でも、子どもでも木の枝をぴょーんぴょーんと飛び回るなんて、絶対にできないことだったから、近所の人は「あれはきっと天狗の仕業だろう。あの子は一人で遅くまで遊んでいたから、天狗にさらわれて連れて行かれたんだろう」といって、お父さんとお母さんの他には、その子を探す人がいなくなったんだ。
お父さんとお母さんはたとえ天狗にさらわれたとしてもどこかで生きているに違いないと思って、雨の日も風の日も毎日毎日山から山へその子を探し続けていたんだ。すると、そんなお父さんとお母さんの姿に、天狗も心を打たれたのか、ある日の朝、家の前でその子が眠っていたんだって。
その子は三日間眠り続けて、四日目にふと目を覚まし、いなくなったときのことをぽつりぽつりと話し始めんたんだ。
「あの時一人で遊んでいたら、周りが暗くなってきたんだ。それでも楽しかったから、家に帰らないで遊んでいようと思ったら、身体が軽くなって、気がついたら真っ赤な顔の天狗に抱えられて、山のてっぺんから山のてっぺんまでぴょーんぴょーんと跳ね回っていたんだ」
「天狗は意地悪で、ほれ、まんじゅうをやろうといって、丸い石を食べさせられそうになったり、お前も飛んでみぃと言われて、木の枝から木の枝まで飛び歩く術を教えられたんだ」
「起きているのか寝ているのか、夢なのか幻なのかわからないけど、とにかく怖かった」
と、涙をいっぱいにためて話してくれたんだ。
その子は二度と一人で外で遊ばない、と約束したんだってさ。
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