2023年のご挨拶
目次
新年あけましておめでとうございます。
歳を重ねるに連れて、「一年が過ぎるのが早い」などと言われることがあります。一説には「歳を重ねるほど初めて経験することが少なくなってくるから時間の感覚が早くなる」なんてことも言われます。
確かに生まれたての子どもは何もかもが初めてづくしですし、小さいときは新しい発見に満ちあふれていたように思います。そして歳を重ねると「このときはこうすれば良い」を「経験で」わかるようになります。発見することは少なくなるのかもしれません。
個人的には2022年もその他の年と同じように、毎日たくさんのことが起きた一年だったので、同じようにバタバタと過ぎ去っていったように感じます。自分の中では一度見たことあるようなことでも「新しい発見が無いか?」を意識してできるだけ新鮮な目線ですべてのものを見られるようにしたいと感じています。
2022年は戦争の話とか不適切な保育の話とか、子どもを置き去りにしてしまった話とか、保育とか子育てをしている一人の人としては、心がふさぎ込みそうになるニュースが多かったように思います。一方でワールカップでの活躍など明るいニュースも同じようにあったのだと思います。
年初の園長コラムなので、たまには自分が思っていることを色々と書いてみたいと思います。
個人的な見解の1つ目・・・良いことと悪いことは長い目で見ればプラスマイナスゼロ
毎日をバタバタと生きていくと、良いことよりも悪い事のほうが目についたりします。でも実際は良いこともたくさん起きているのだと思います。本当は良いことも悪いことも同じだけの量起きているのだけど、目についたり気になったりするのは「悪いこと」が多かったに過ぎないと思います。
一部の保育園で虐待が起きたことや園児を置き去りにしてしまった事件が起きたときには、マスコミなどがその保育園、その保育士に全責任を負わせるように徹底的に追い込んでいます。
もちろん実際に虐待している保育士をかばうつもりは全くありませんが、「良いことと悪いことは長い目でプラスマイナスゼロ」と考えると、もしかするとこの保育士・この保育園にも良い面があったのかもしれないと思うわけです。
良いことはほとんど取り上げず悪いことだけ取り上げるようなマスコミの姿勢には非常に嫌な思いをしています。両論併記をしなければならないということを意図的に無視していることにも嫌悪感を抱きます。一方で、こういった事件がないとなかなか問題点が表に出てこない側面もあると思います。保育士の処遇が改善しない一番の問題点となっている「公定価格」「配置基準」の問題点です。ここには殆ど触れられていないのがとても残念です。
保育所には「配置基準」に従って子どもの人数に応じた保育士がいなければならないというルールがあります。ところがこの「配置基準」は長いものでは70年以上も改善されないまま放置されています。70年前といえばまだまだ第二次世界大戦の影響が色濃く残っている時代です。日本で始めて民放テレビ局が放送を開始した頃です。そんなときから4歳以上の子どもは30人を保育士1人で見ることが「基準」として定められたまま改善されていないのです。
そんな状態で「一人ひとりに手厚く関わる」を実現することがどこまで出来るのか?その点にマスコミは殆ど触れないことが非常に悲しく感じています。
それでも姫井保育園ではなんとか一人ひとりと深くじっくりと関われるようにと職員の配置を手厚くしています。それでも気を抜くと不適切な保育をしてしまいかねないと感じるときがないとはいえません。そこで、姫井保育園では全国保育士会が作成した「人権擁護のためのチェックリスト」を使って自分たちの保育を振り返るようにしています。
子育て中の親の一人として読んでみて、この全てに「していない」と言い切る事ができるか?と問われると正直大変です。一人の子どもに対して「完璧にはできない」ことをたくさんの子どもたち達を同時に相手にする保育士ができない瞬間があるのはある意味仕方がないかもしれない、それでも人権養護のために保育職としてだけでなく、施設全体として出来る限りのことをしていかなければいけない、と毎回思うわけです。
個人的な見解の2つ目・・・大人に対して出来ないことを子どもに求めないようにするべき
早寝早起き、手洗いうがい、順番を守る、忘れ物をしない、物を大切にするなどなど。子どもたちに対して「◯◯しなさい」「◯◯しなければだめよ」と言ってしまうことはたくさんあると思います。でも、「それは大人に対しても同じことが言えますか?」を考えるようにしています。少なくとも、自分自身がそれを出来ていますか?を考えるようにしています。
大人に対しても「食事中は会話をしてはいけません」とか「アクリル板があるからって大声で会話してはいけません」とかちゃんと徹底しているのであれば、保育園の子どもたちに対しても同じように言えばいいと思うのですが、世の中では普通に宴会してますし、山口県からも「忘年会の際にはこういうことに気をつけましょう」というパンフレットが届いて、憤慨しました。
子どもたちには「黙食」とかをさせておいて、大人たちはそれをしないって、ずるくないですか?
社会経済活動を動かすためにという理由も頭では理解できます。大人たちがコロナ禍前のように働き、消費し、経済活動を行わないと今の社会がストップしてしまい、未来が無くなるということも理解できます。それと同時に、今の大人達が「老後」と呼ばれる時代に社会を支える子どもたちも大切にしてほしいと思います。
こんなにも子どもたちに酷い仕打ちをしておいて、本当に自分たちの老後を支えてもらえると思っているのであれば、流石に現状認識が甘いんじゃないかなと思います。子ども達にはコロナ禍中と同じような生活を求めている厚生労働省の通知は、今の時点でも何も変わっていません。誰を大切にしているのか?選挙権がある人を大切にする国の政策が変わらないと子ども達を大切にする事はできないと思います。
最近の不適切な保育についても、「大人に対してできないことはしない」「その子の親の前で出来ないことはしない」ということを職員にも話しています。
子育ての中ではその子の育つ力を伸ばすことが大切だと考えています。そのため、子どもがやりたいと思うことを出来るように支えることが大切だと思っています。一方で、子ども達はまだ善悪の判断が出来なかったり自分の能力を正しく理解できないことがあります。そんな時に大人としてある程度子ども達の「やりたい」を制限しなければいけないときがあります。
「こういう場面ではこういった行動を取らないと社会を生きていくことが難しくなるよ」とか、「こんなことをすると周りの人がこんな気持ちになるよ」とか、多くの人たちと一緒に生きていくために子どもの頃から何度も何度も繰り返し伝えていくことで、人として身につけておくべき「当たり前」を少しずつ覚えていってもらうことが大切です。
今は大人の方も「やりたいことだけやる」という人が増えてきています。そのため「自由」と「責任」の関係を理解していない大人も増えてきているのだと思います。そんな時代だからこそ、「自由」と「責任」のバランスは保育者とは常に意識しておく必要があるのだと思います。さらに、子どもの発達を意識して保育をしていく必要があるのだと思います。
個人的な見解の3つ目・・・自分で考えて行動できるようにするべき
子ども達によくする質問として「じゃあどうすればいいと思う?」があります。子ども達に「自分で考える」ことと「考えたことを行動する」ことの経験をしてもらいたいと思って、何かにつけて質問しています。
子ども達はそれぞれがそれぞれに思いを持っていて、自分の思いと他人の思いがぶつかることが頻繁に起きています。あの玩具が欲しいだとか、今はご飯を食べたくないだとか。そういう思い同士がぶつかったときには「イザコザ」や「ジラ」となって表に出てきます。子どもの思いを一人ひとり、一つ一つ聞いていき、「じゃあどうすればいいと思う?」と聞いてみると子どもたちの多くは「わからん」と答えます。
年齢や発達の段階に合わせて「じゃあAとBとどっちがいいと思う?」と答えやすくして質問をしてみたり「◯◯したら▲▲になるよね」と少し先の見通しを持たせてあげたりして、自分の行動を予想させてあげたりします。そうすると子どもたち自身が自分の思いと行動を考えて、次にどうするかを考え始めます。
もちろん簡単にいかないこともありますが、そうやって子どもの思いをまずは受け止めて、子どもの状態に合わせて適切な関わり方をしていくことを重ねることで「自分で考えて行動する」という習慣が身に付いていくのだと思います。
こんなに手間のかかることをしているのは、「自分で考えて行動する」大人が少ないと感じるからです。自分自身も疲れていたりすることが多すぎて頭が回っていないときには「適当にしていればいいか」と考えることをやめてしまうのですが、そうすると「周りに流される」ことになってしまいます。その結果、自分が望まない状態になってしまい、そんな状態に「不満」を感じます。
自分で選択した結果であればどんな状況でも受け入れることが出来るのですが、自分で選択していない(出来ない)時には不満を強く感じてしまいます。
世の中の全てについて自分で選択できないことはもちろんなのですが、自分の身の回りのことで自分で選択できることは、できるだけ自分で選択するようにしています。そうすることで自分の手の届く範囲の世界では「不満」を感じないように出来るからです。また、自分で選択して行動することを繰り返していけば、「やりたいことを実現する」という経験もたくさん出来ます。新しいことに挑戦したり、今までと違うやり方を試すことを繰り返していくことで、自分の力が伸びていることを感じたり、自分の新しい一面に気づくことが出来たりと、毎日が充実して生活を送ることが出来ます。
ただ毎日を「こなす」ように感じている人には「自分で考えて行動する」ことを薦めてみたいと思います。
個人的な見解4・・・時間を大切にするべき
本厄の年を終えて、いよいよ自分の時間を大切にしたいと感じるようになりました。しなければいけないことは山のようにあり、それよりも多くの「やってみたいこと」を感じるようになりました。冷静に振り返って自分に残された時間が少ないことに気づきました。一日の多くを「しなければいけないこと」に奪われていると、やりたいことが出来ないままになってしまいます。このままでは「不満」が積もるばかりです。
「やりたいこと」をする時間を作るためにも一つ一つの「しなければいけないこと」は短時間で効率的にどんどん進めることが大切なのだと思うようになりました。
周りの人からすれば「生き急いでいる」とか「遊びのない人生でつまらない」だとか言われます。「無駄の中に発見がある」とか「余裕や隙を持っていないといけない」とかも言われます。その指摘は正しいと思いますが、「しなければいけないこと」の時間を圧縮して「やりたいこと」をのんびり進める中で「余裕」「無駄」「隙」が出来るようにしたいと思っています。
人生の何に時間とエネルギーを使うのか?を常に考えていかないとと思っています。周りに流されず「やりたいこと」に時間とエネルギーを使えるようにしていかなければいけないと考えています。自分の人生は他人のためにあるのではなく、自分のためにあるものです。「自分や家族のために時間とエネルギーを使いたい」という気持ちがあるので、それ以外の余計な付き合いや余計な雑務は必要最小限にする選択もしています。それを「付き合いが悪い」と言われることがありますが、それもまた自分で選択した結果なので不満を感じることはあまりありません。世間が狭くなっているのかもしれませんが、そういう人生も悪くないと思います。逆に「世の中そうなっているから」とか「付き合いも必要」と言われていやいや参加する会合などは「不満」のもとになると思っています。
子ども達が成長した先の時代では、今よりももっと色々な考え方の人達が集まって社会が出来ていると思います。「そうすることが当たり前」というものがどんどん崩れていくのではないかと思います。何を基準に自分の人生を決めていくのか、何を大切にするのかをどうやって選ぶのかの一つの見本になるような生き方を子ども達に見せてあげられるようになりたいと思います。
たくさんの個人的見解を書きました。保育園の運営では個人的な見解を控えていることもたくさんあります。今までのやり方を踏襲していることもたくさんあります。自分がやりたいことだけでは組織の運営は難しいですし、職員や子ども、保護者に影響することもたくさんあります。
だからこそ「そんなやり方があるなら一緒にやってみたい」とついてきてくれる人たちがいれば、是非一緒にやっていきましょうと手を取り合ってやっていきたいと思っています。
逆に、「そんなやり方はしたくない」と言う人がいれば、「それならばなんとか折り合いをつけながら出来る方法を探しましょう」と対立せずに新しい道を探しながらやっていきたいと思います。難しいことだからと言って諦めるのではなく、何か新しい解決策を探し続ける年にしたいと思います。
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