出来ているところに目を向ける難しさ

昔アルバイトで小学生を授業をしたことがあるのですが、子どもたちの集中力が欠けてきた頃にしていたゲームがありました。

九九の「七の段」を順に言えるか?というものでした。もちろん全員が間違いなく順に言えるはずでした。そこで私が「しちいいちが7、しちに14、しちさん21・・・」とスラスラと話していき、最後に「しちく64」とわざと間違うのです。そうすると子どもたちは大爆笑をして「違うやん!」「間違えてるやん!」と口々に指摘してくれます。

私は「せやね、みんなは「間違っているところ」にはよぉ気づくけど、出来ているところには特に気づくこと無くスルーするんよね」という話をすると、半分ぐらいの子どもが「ハッ」とします。

テストでなかなか良い点数を取れない子どもは、段々と自信を無くしてきて「自分は全然出来ない」というようなことを言い始めます。これはまるで「しちく64」と言った私に「間違えてるやん!」といった人と同じで「出来ている」ところを見落としているだけなのです。

ほとんどすべてに正解していても、1つだけでも間違っていたらそのことをとても大げさに捉えて、自分の全てが「出来ていない!」と評価してしまう癖がついているのです。

その後、その時の生徒が中学生になった頃に「あのときの先生の話まだ覚えてるわ、なんで覚えているかしらんけど」と言われたことを、最近ふと思い出しました。

もしかすると自分も「出来ていない」ところだけ見る癖がついていたのかもしれません。本当は「出来ている」ところはたくさんあるし、その人自身は一つも悪いわけではないのです。その時の生徒が大切なことが見えなくなっていた自分に「見えてへんで!」と気づかせようとしてくれたのかもしれません。しらんけど。

自分の子どもが言う事を聞かなくなり、こちらをイライラさせることばかりするようになって、「なんで◯◯しないの!」と叱った日のことでした。その日Audibleで聞いた本の中に「ランドルト環」(視力検査のときによく見るあの黒い”C”みたいな輪っか)を「欠けている」を使わないで説明できるか?という話があったので、連想して思い出したのかなぁとふと感じた出来事でした。

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