「失敗する経験」は宝物

今年もかなり暑い夏で年々体への負担が重く感じます。それは年齢を重ねてきていることも一つだと思いますが、気候の変動もあるのかもしれません。

気候や年齢は自分ではどうすることも出来ません。気合を入れたり勉強をしたり努力をしたりしても、夏の暑さを昔に戻すことは出来ませんし、歳を取らない体になることも出来ないわけです。

「自分ではどうしようもないこと」というのが世の中にはたくさんあります。

一方で、「自分でなんとかできること」もたくさんあります。暑い夏を乗り越えるために日頃から栄養バランスに気をつけておくことととか、睡眠時間を確保することとか、汗をかいたらしっかりと水分・塩分補給を行うこととか、休息の時間を取るようにすることなど、工夫次第でこの暑い夏も乗り越える事ができるわけです。

「自分ではどうしようもないこと」と「自分でなんとかできること」とを見極める力というのはとても大切になります。子どもたちはこの2つを見極めることが難しいので、「どうしようもないこと」に一生懸命取り組んだりしている姿を見ると思います。どうやっても届かない高さにあるセミを捕まえようとしたり、川の水をバケツで全て汲み出そうとしたり、その姿は可愛いものですが、子どもたちの成長につながる大切なポイントが隠れていたりします。

「セミを捕まえたい」という何かをやりたい、達成したいと感じること、これは人生の中で大きな力になります。そのような「意欲」を感じられること、「意欲」に動かされて行動できることはとても大切です。

捕まえたいセミが自分の手の届かないところにいるから、「虫取り網」を持ってきて一生懸命手と網を伸ばすが、それよりも高いところにセミがいる。そんなとき、子どもたちは「どうすればこの問題を解決できるか?」を一生懸命考えます。

高いところに登ったら届くんじゃないか?踏み台になる何かがあれば届くんじゃないか?もっと背の高い人に頼めば届くんじゃないか?そもそもこのセミは諦めて他の木を探せば別のセミがいるんじゃないか?などなど、あれこれと考えては試し、うまくいったりうまくいかなかったりを繰り返して、目的(セミを捕まえたい)に近づいていきます。

もちろん中にはうまくいかなくて「悔しい思い」をすることもあるかもしれません。それでも「今回は捕まえられなかったけど、次は絶対捕まえてやる」という意欲や思いに繋がったり、捕まえられなかったセミはどんな形だったかどんな色だったかを覚えているので、図鑑で調べて特徴を知りたいという「知的好奇心」に繋がると思います。

色々と工夫をする中で「自分ではどうしようもないこと」と「自分でなんとかできること」の区別ができるようになると、「自分でなんとかできること」の工夫を始めます。これまでのやり方とは違うやり方を試してみたり、出来ることを増やしたり、道具を変えたりと工夫を始めます。

逆に「自分ではどうしようもないこと」については別の方法でクリアしようとし始めます。高すぎて自分で捕まえる事ができないのであれば、他の人を使って捕まえてみようとか、網にほうきを繋げて長くしてもらうとか、新しい方法を考えます。

子どもたちは遊びの中で「やり抜くこと」や「乗り越えるための方法を考えること」などを繰り返しています。それは「やりたい」「知りたい」という意欲に支えられて行動しているからです。この意欲をしっかりと支えて、子どもたちに行動させてあげて、うまくいったり失敗したりを繰り返すことで「やり抜く力」や「失敗しても乗り越える力」が身についていきます。

大人があまりにも先回りしすぎて「失敗しないことが当たり前」になると、子どもたちはこの力を伸ばすことが出来ません。

「転んで怪我して初めて、怪我をしない体の使い方がわかる」というのはまさにこういうことだと思います。

大人は「失敗しないことが当たり前」と思って過ぎないでしょうか。自分は失敗しないようにたくさん準備している人も多いと思いますが、子どもたちにとっても大人にとっても失敗することは「学び」と「成長」のためにはとても大切です。失敗することは嫌なことですし、つらいことですし、他の人に迷惑をかけるかもしれません。それでもそこからたくさんのことを学び成長していけるのであれば、ある意味失敗も大切な経験だと思えてこないでしょうか。そんな気がしています。

絶対に転ばないようにすることはそもそも「自分ではどうしようもないこと」になります。他の人がぶつかってくるかもしれませんし、道の凸凹を見落とさないように下を向いて歩き続けることは出来ないからです。それならば「自分でなんとかできること」に注力するほうがよっぽど健康的な考え方だと思います。

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