想像できない時代を生きる

園庭の木を剪定しながら、子どもたちと話をしていると「園長先生、それ(切ったばかりの枝)捨てるん?手伝ったるよ」とお手伝いチームが登場します。
そんなときは子どもに甘えて「じゃあこれお願いね」と子どもの背丈ぐらいの大きな枝を渡します。一人で力強く引きずっていくすみれさんもいれば、2~3人で力を合わせて持っていく子どもたちもいます。

園庭には遊具もたくさんありますが、子どもたちは毎日同じ遊具だと、なんとなくマンネリになるのかもしれません。
木を切ったときに出てくる木くず、枝や葉っぱ、かんなくずがあると子どもたちが集まってきて、とりあえずバケツの中に集めたり、太めの枝をしならせて楽しんだり、切った枝を砂場に植えて前衛的なアート作品を作ったりと、子どもたちが遊びを開発していく姿に「自分で考えて遊びを作り出せる頼もしさ」を感じています。

最近話題のChatGPT等、AIが発展していくと「考えること」や「発明すること」すらAIのほうが得意になる時代が来るかもしれません。そんな「想像できない時代を生きる」子どもたちに、今、どんな経験をさせてあげるべきでしょうか。
どれだけ「最近の進歩」が急速であっても、「人とともに生きること」は人類が10万年以上続けてきて、体の細胞一つ一つまで染み込んでいる習慣です。10万年の習慣を変えることは難しいので、これから先もこれまでと同じように、人は「人とともに生きる」のだと思います。

「想像できない時代を生きる」子どもたちに、具体的にどんなことを経験させてあげればよいのかを少し考えてみました。

生まれたばかりの子どもたちには「周りの人から温かく見守られる」「自分をしっかりと受け止めてもらえる」という経験をしてほしいと思います。その経験が「自分は価値のある人間なんだ」「自分は自分で良いのだ」という基本的信頼感につながります。

人見知りをしたり、「私のものを取らないで!」のように、子どもが自分と他人を区別する頃からは、「自分と違う他人」を好きになれる経験をしてほしいと思います。

自分のことを大切にしてくれる親などの保護者の存在だけでなく、自分や保護者と違う「赤の他人」に気づき、その赤の他人と一緒に生活する中で、その赤の他人を好きになったり、ぶつかったりしていきます。

この頃に他者との関わり方をしっかりと身に付けておかないと、大人になってから「自分だけ良ければそれで良い」という安易な考えに流されてしまいます。
子どもなら「自分だけ良ければそれで良い」が許されるかもしれませんが、大人になったらある程度気持ちを制御できないと生きづらくなります。子どもの時代にしっかりと他人とぶつかる経験、気持ちの整理をする経験が大切になってきます。もちろんその中には大人のサポートも必要になります。

子ども同士での関わりが出来始めると、自分の意見を主張したり、グループの意見に自分の意見を合わせたり、意見の違う人と話し合いをして、より良い着地点を見つける経験をしてほしいと思います。
集団で生活していると、自分の思いが通らないことは当たり前に起こります。同様に、自分と同じ意見の人がたくさんいることもよくあります。
そんな「集団の中の自分」という経験を通して、自分自身を大切にすること、居心地の良い集団になるための試行錯誤を経験してほしいと思います。
これは集団に全て合わせるということではなく、集団と違う自分がいても良いし、それぞれが違った考えを持つ人達でより良い集団になるような工夫をして欲しいということです。

「出来るようにすること」よりも「出来なかったけどチャレンジした」「出来るように工夫した」経験が大切だと思います。

生まれて間もない子どもたちには、実際に体験することこそが一番大切です。
失敗や望ましくないことも含めてたくさん経験しながら、将来を幸せに生きるための力を育ててほしいと思います。

想像できない時代をイキイキと生き抜いていく子どもたちの将来の姿が楽しみでなりません。

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