「あまえ」をしっかり受け止めて

「あまえ」と「あまやかし」の違い

最近では子どもの「あまえ」はしっかりと受け止めてあげることが大切だと様々な記事やテレビなどでも言われるようになってきました。ところが、今でも「あまえ」という言葉には否定的なイメージを持たれる人も多くいます。これは「あまえ」と「あまやかし」を一緒のものと誤解しているのではないか?と思うのです。”親と子どもの臨床支援センター”代表の帆足暁子さんの「愛着関係を育む保育」という記事を要約して紹介します。

「あまえ」と「あまやかし」

「あまえ」は子どもから求める愛着行動ですが、「あまやかし」は大人本位です。例えば、時間がかかるから子どもの着替えを手伝ったり、子どもに上手に作らせたいと制作を手伝ったり、あるいは、子どもがもっとデザートが食べたいと泣き叫んでいるときにごねられるのが面倒だからと与えてしまうことなどです。子どもはその行動を学習します。

ありのままの「あまえ」を受け止める

子どものあまえをすべて「愛着行動」として受け止めてよいのか迷う場面もあると思います。大切なことは子どもの「あまえ」を生じさせる気持ちを理解しようとすることです。ありのままのあまえを受け止める保育とは、子どもの愛着行動に気づき、気持ちを受け止めて安心感を生じさせることです。子どもの要求を実現させることではありません。

保育園の子どもたちの「あまえ」を受け止めるためにも、しっかりと信頼関係を作っていくことが大切です。一方で大人主導の「あまやかし」ばかりにならないようにすることも大切です。

子どもが大人に対して「あまえ」を思い切り出すことは、周囲の人達への信頼や、自分自身への自己肯定感を高めるためにとても大切なことです。生まれて数年の子どもたちにとって、一番大切な部分ですので、しっかりと育てていきたいと思います。

大人も「あまえ」を出せることが大切

土居丈朗の「甘え」の構造では「甘えとは、周りの人に好かれて依存できるようにしたいという、日本人特有の感情」だそうです。

誰かに好かれたいという気持ちは多くの人が理解できますし、それは当たり前と思う人がほとんどだと思います。ところが、これは日本人特有の感情のようで、世界の国々では当たり前ではないそうです。

確かに、違う文化圏に行けば日本人であれば「当然○○してくれるだろう」というものは通用せず、面食らうことも多いかと思います。逆に、違う文化圏の人からすれば、「どうして日本人は○○する(しない)のだろう?」と理解不能だと思われることもあります。

個人的には年齢(世代)によっても「当然○○してくれるだろう」が異なっていることはよくあるのではないかと思います。世代が異なれば「当たり前」が異なってくることはよくあります。

だからといって、「○○しないなんてありえない」と相手の方を切り捨てるような態度をとっていては人間関係はうまくいきません。相手は自分と違う常識を持っているのだと思って関われる人は「余裕がある」「ゆとりがある」「包容力がある」などと評されるのだろうと思います。

大人同士の関係でも、大人と子どもの関係でも、相手に「あまえ」を出せる関係は居心地が良い関係だと思います。特に、子どもは大人に対して「あまえ」をしっかり出せることが大切です。一方で、大人も大人に対して「あまえ」を出せると心のゆとりを持つことが出来ます。ゆとりがあればつらい状況になっても耐えることが出来ますし、自分の持っている力を十分に発揮できると思います。

コロナ禍だからこそ「あまえ」が必要

新型コロナウイルスの影響でどこもかしこも余裕がない状況になってきています。今までだったら「それぐらいいいじゃない」と思えたことも許せなくなってしまったり、自分にも他人にも今まで以上に厳格になってしまったりすることがあるかと思います。

お互いに「あまえ」を許せない関係ではなかなか良い方向に進まないので、こんなときこそ、一息ついて「それぐらいいいじゃない」と肩の力を抜くことも必要になってきているのかもしれませんね。

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