2005年11月16日 第20号 おはなしの力

2019年5月27日

園庭のモミジバフウ(紅葉楓)が日毎に色づいて、真っ赤な落葉がままごとのいい材料になっています。さわやかな秋から肌寒さが身にしみる晩秋へと季節が移ってきました。

毎週水曜日の午後のひととき、幼児クラスに入って、子どもたちにおはなしをしています。2年前から始まったおはなしの時間ですが、一昨年と去年はクラス別に、今年は年齢別に20人ほどの子どもたちを前に、日本の神話や昔話、ギリシャ神話やグリム童話、イソップ童話、時にはアラビアンナイトなど、子どもたちが聞いてくれそうな題材を選びながら、冷や汗をかきかき、続けてきました。「あっ、その話しっちょるー。」とか「その次、こうなるんよー。」とかいう声にもめげず、また話に飽きて途中で寝転んだり、隣の子をかまいだしたりという子がいても、まあまあと思いつつ、何とか続けてきました。

幼児期には絵本の読み聞かせが大事ということは、よく言われます。最近では生まれたての赤ちゃんにも「赤ちゃん絵本」というものがあって、よく絵本を読んであげているようです。無論、内容がわかるわけではないのでしょうが、絵本を読んでいる、大人のやさしい語りかける声が赤ちゃんにとって心地よいものであることと、親子の場合にはそういったかかわりあいをすること自体に情愛が育つ意味を認めているのでしょう。

保育園でも一日の生活の節目、節目に担任の先生がよく絵本を読み聞かせています。それはそれで、とても楽しい良いことだと思っていますが、よく見ていると、大人も子どもも絵本に目がいっていて、話し手と聞き手のあいだのまなざしが合うことはあまりありません。

絵を媒介としない「素話」では言葉の一つひとつの反応を子どもたちの目の中に読みとって、おはなしに集中してきた時の子どもたちのワクワクやドキドキを共に感じながら、絵本よりもずっと濃密な交流を持つことができるように思います。

字が読めたり書けたり、計算ができたりする前にまず、落着いて人の話が聞けることが何より大切です、と小学校の先生方からよく聞きます。現代では生まれたときから、家の中では常にテレビやビデオの映像や機械音がし、どこに行くにも車でさっと移動することができます。大人にとっては、とても快適で楽しみの多い生活ですが生まれて間もない乳幼児にとっては、非常に刺激の多い、落着かない世の中になってしまったように思います。その中で子どもたちが昔に比べてとても早熟になり、一見、賢げなのですが、内面の育ちがどこか危ういように思うのです。

「むかしむかし、あるところに大きな大きな山があってね。その山には赤―い顔の鬼が住んでたんだって。・・・・」とおはなしが始まると子どもたちはことばからそれぞれがイメージした大きな山と赤い鬼を心の中に描き出します。おはなしが進むにつれて、登場人物や動物たちはいきいきと動き出し子どもたちの心も動かしていきます。ゆっくりした時間と空間の中で、おはなしを楽しみながら、ファンタジーの世界に浸って、言葉からイメージをつくる力を自然に身につけてもらいたいと思っています。

それがやがては、小学校に上がってからも先生の言葉にきちんと耳を傾けられる力にもなり、友だちの身になって思いやる力にもなり、また、読書力や色々な学科の文章題を読み解く力にもなっていってくれればと願っているのですが、欲張りすぎでしょうか。

とにもかくにも、炉辺を囲んでおじいちゃんやおばあちゃんから聞いたむかしばなしのノリで1週間に1度の「園長先生のおはなしの時間」を私も大いに楽しませてもらっています。夜が長~く感じられる晩にはテレビを消して、でたらめ話でもおおいに結構です、おはなしをしてあげてみて下さい。

子どもたちの目がこんなに輝くものかと気が付かれると思いますよ。

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