2025年3月3日の素話(桃太郎・赤ずきん・しばいのすきなえんまさん)
今年度最後の素話の時間でした。
ももたろう(つくしグループ)
長い間愛され続けた桃太郎のお話。今日が桃の節句だったので、ほんの少しだけつながりがあるかな?と思いお話をしてみました。
もちろん子どもたちはみんなお話の流れを知っているので、あたかも自分が桃太郎を見てきたかのように話をしてみることにしました。
頭の中にイメージできるように、たまには子どもたちに語りかけ、たまには子どもたちを引き込むように意識してお話をしてみました。子どもたちも楽しんでくれていたようです。
赤ずきん(たんぽぽグループ)
グリム童話のストーリーを参考に、赤ずきんのお話をしてみました。
こちらも絵本などで見たことがあったり、どこかで聞いたことがあるお話かなぁと思って子どもたちを観察していたのですが、どうも初めて聞くようなリアクションも見られました。もしかすると古典と言われる絵本に触れる機会があまりなかったのかもしれません。
今は絵本が溢れる時代なので、古典といえる絵本に触れない子どもも増えてきているのかもしれません。それ自体が悪いこととは思えませんが、長く愛されているものにはそれなりの理由があるのだと思います。
もっとも、赤ずきんのお話自体がグリムよりももっと昔から、また、様々な地域で同じようなお話があることを考えると、このテーマのお話は今の絵本でもたくさん語られているのかもしれません。
しばいのすきなえんまさん(すみれグループ)
年長児のすみれグループには、かなり長いお話をしてみました。
しっかりと話を聞き、そのイメージをふくらませることができるようになったすみれさん。途中で立場が代わっていく様子を想像して、「ああ!そんなことしたら・・・!」とドキドキしている様子が伝わってきました。
繰り返しの面白さや、あまりにも人間臭い「えんまさん」のキャラクターを楽しんでくれたらと思っています。
素話を続けてきて思うこと
素話を毎年続けてきて、年度の終わりごろになるとどの年齢の子どもたちも話をよく聞ける様になってきていると感じます。
一方で、お話に興味を持てない子どもも一定数います。そんな子どもたちにどうすれば届くのかな?と毎回試行錯誤の日々です。
「もしかして、使っている単語が難しいのかな?」「”えんまさん”、”閻魔大王”を初めて聞いたので、何のことやらわからなかったのかな?」などと一人ひとりの状況を想像しながら話をしていくのですが、本当にひとりひとり違っていていつまで経っても自分のお話が上達した気になれません。それで良いと思っています。「いつまでも学び続ける」を当園の行動指針にしている以上、園長の自分が真っ先に「いつまでも学び続ける」をしていかないといけないなと感じています。
これは、子どもに対して感じるだけでなく、大人に対しても感じます。
本当に一人ひとり考え方や「当たり前」と感じていることに違いがあるのだなぁと思います。それがいけないのではなく、「一人ひとりが違っている」「自分と違う考え方をする人がいることが当たり前」を前提にしないと、普通のコミュニケーションが成り立たなくなってきていると感じます。
私の小さい頃は本当にみんなが同じようなテレビを見て、同じようなCDを買って、同じような遊びをしていたのだなぁと思い出します。みんなが同じ文化で育ってきていたので、あれこれ言わなくても通じ合うことが出来ました。「言わなくてもわかる」が当たり前だったので、阿吽の呼吸が出来ていました。今ではそれは難しくなっていると感じます。
素話では、「聞く人がどんなふうにイメージをしているか」を想像しながら話します。もちろんストーリーを繋げることも大切なのですが、素話をする人の体感としては「相手の心の声を聞く作業」だと思っています。相手にどう届いているかが素話の醍醐味と感じます。
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